映画祭では、意外なほど多くの時間を「待つ」ことになるのかもしれない。
上映を待つ。
入場を待つ。
人を待つ。
次の予定まで、街の中で時間を過ごす。
効率だけを考えれば、待ち時間はできるだけ減らしたいものだ。
しかし映画祭を観測するという視点では、その時間にも意味があるように思う。
上映が始まる直前の列には、独特の空気がある。
どんな人たちが集まっているのか。
どんな言葉が聞こえてくるのか。
人々は何を話し、何を見ながら待っているのか。
スクリーンを見ている時間だけでは分からない映画祭の姿が、そこにはある。
さらに、何も起きていないように見える時間だからこそ、周囲を見る余裕も生まれる。
スタッフの動き。
会場へ向かう人の流れ。
遠くから聞こえる歓声。
街を行き交うバッジを下げた人たち。
そうした小さな風景の積み重ねが、現地で感じる映画祭の記憶になるのかもしれない。
2027年にカンヌを訪れるとき、私は待ち時間まで効率化しようとは思わない。
むしろ、その時間にしか見えないものを観測してみたい。
映画祭の価値は、予定表に書かれたイベントだけに存在するわけではない。
次の何かが始まるまでの時間にも、その場所にしかない映画祭が流れている。